生も死も天命であり、あれこれ言うべきものでない。われわれは謹んで天子の御恩に報いることを心がけるべきである。
国難にあたっては、奮って除くべく奔走し、死をも避けず、熱血、慷慨の心で正義の為に起つのが日本の魂である。
この例は、一世の義烈というべき赤穂四十七士、三代にわたって忠義を尽くした楠氏一門がある。
国を憂え憤って薩摩の海に身を投じた西郷隆盛や月照、従容として小塚原で死を受け入れた吉田松陰等、いずれもこの生気の働きである。
あるいはこの生気は、吉野如意輪堂の扉に、小楠公が鏃で刻んだ歌となって、千年たっても消えることなく、あるいは、菅公が筑紫山頭の月に託して詠じた詩となって、忠誠の情が溢れ、讒言を恨まず誠忠そのものの心を示している。
見た給え、生気が天地の間に満ちていることを、それは永遠に続き、且つ広く行きわたっているのである。
ああ、思えば生気は人の誠から発するものであり、何もくどくどと説明を加える必要はない。
生気とは誠である。何事も誠である。誠をもって事に当り、死んでも止まることのないものである。
あの楠公の遺言の如く、七度もこの世に生まれて国恩に報いたいものである。
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