ほう けつはい
吉田 松陰
天保元 (1830) 〜 安政六 (1859)
ちゆう十月朔じゅうがつさく
鳳闕ほうけつはいし、粛然しゅくぜんとしてこれつくる。ときまさ西走せいそうしてうみらんとす

山河襟帯自然城

形勝依然舊~京

今朝盥嗽拝鳳闕

野人悲泣不能行

上林黄落秋寂寞

空有山河無變更

聞説今上聖明徳

敬天憐民発至誠

鶏鳴乃起親斎戒

祈掃妖氛致太平

安得天詔勅六師

直使皇威被八紘

従来英皇不世出

悠悠失機今公卿

人生如萍無定在

何日重拝天日明
さん 襟帯きんたい ぜんしろ   けい しょう ぜん たりきゅう しん きょう
こん ちょう 盥嗽かんそう して鳳闕ほうけつはい す   じん きゅう して くことあた わず
上林じょうりん 黄落こうらく してあき 寂寞せきばく たり  むな しくさん 変更へんこう なう
きく ならく きん じょう 聖明せいめいとく   てんつつしたみあわれ せいはつ
鶏鳴けいめい すなわした しく斎戒さいかい し  妖氛ようふんはら って太平たいへいいた さんといの
いずく んぞてん しょう りく ちょく し  ただちこう をして八紘はっこうこうむ らしむるを
従来じゅうらい 英皇えいこう せい しゅつ   悠悠ゆうゆう うしのいま公卿こうけい
人生じんせい うきくさごとさだ まり ること し  いず れのかさ ねて天日てんじつめいはい せん

京の都は山と河にとりまかれて自然の城の地勢となっており、景勝の美は桓武天皇が此の地を都とお定めになった昔と全く変わりがない。
自分は多年宿望の地京都に来て、今朝身を清めて宮城 (皇居) を拝したが、田舎者である自分は宮城の有様を見て、ただ涙が流れ、立ち尽くすばかりである。
宮中のお庭の草木は黄ばんで落葉し、はなはだもの寂しい光景であり、山河のみは依然として変わらないが、この寂しい光景を見ると、皇室のご威光もお暮らしも昔と変わっているのではないかと思われる。
聞くところによると、今上陛下は聖明の徳ましまして、天を敬い民を憐れみ給うことも至誠なる御心より出で給うとのことである。
今朝一番鳥が鳴くと、直ちに起き出でられ、御親しく斎戒沐浴、身を清められて、わざわいを掃い除き、天下の太平を致さんことを天地神明に祈り給うのだという。
どうかして天子の詔を全軍に下し給うて、直ちにわざわいのない太平の恩恵を全世界の人々が受けられるようにしたいものである。
昔から英邁なる天子は世にまれなものであるというのが、現在は此の聖天子を奉載しているのである。然るに、今の朝廷にあるもの達はのんびりとしていて時勢を知らず、いたずらに機を失ってしまっている。真に嘆かわしいことである。
人生は、水に流れる浮草の如く定めなきものである。自分もまた浮草の如く西に東にと定まる居もなき身であるから、今度は一体いつの日にか皇居を拝することが出来るかわからないが、そのときは、陛下のためにお役に立ちたいものである。