くも たつ おも
谷 干城
1837 〜 1911


すみ はな うべく

れん つきぎん ずべし

おもむかし れん 豪遊ごうゆう せるの

おう 爛漫らんまん としてつき 沈々しんしん たり

きん じょう はるくらしん とし

人生じんせい ちん 天然てんねん

しん亡友ぼうゆうてつ する らば

感涙かんるい みず ってきゅう せんいた らん

墨田花可醉

蓮湖月可吟

想昔連騎豪遊日

櫻花爛漫月沈沈

錦城春暗辛未年

人生浮沈是天然

若有孤心徹亡友

感涙爲水到九泉


(通 釈)
墨田の堤の桜はすばらしい酔い心地になる。不忍池の月は吟ずるにすばらしい。
それにしても想う、昔、馬を並べて竜雄らと花月のもとで豪遊酔吟した日のことを。桜の花は咲き乱れ、月は静かな水面に影を映していた。それが友亡き後の花のお江戸の辛末の春は、なんと我が心を暗くすることか、人生の浮沈はそれは自然の営みだからしかたがない。もし、わが孤心の想いが九泉の亡き友に通じるならば感極まった我が想いは水となって九泉にとどくだろう。
○蓮湖==不忍池をいう。
○連騎==騎馬を連ねて。同学の仲間と馬を並べて出かけることをいう。
○錦城==美しく華やかな町。花の都江戸をいう。
○春暗辛未年==竜雄が処刑されたのは明治三年十二月二十八日であり、その翌年が辛未 (かのとひつじ) の年に当る。
春暗といったのは、華やかな春を迎えはしたものの、友の死を想うと暗い気持ちになるのである。
○孤心==友を失って、春の賑わいも共に出来ぬ作者の孤独な心。
○徹亡友==<徹> という一字に一般論としての天理で割り切れぬ思いを込めている。徹は友を思う心を九泉 (よみの国) にまでつき通す意。
○為水到九泉==亡友を思う気持ちが涙の水となって、友のいる黄泉に到だろうという意。
九泉は黄泉ともいい、九重になっている (層が多いこと) 大地の底にたまっている泉。ここに死人がいると考えられていた。墓地の意味で使われることもある。


(解 説)
旧米沢藩士、雲井竜雄の悲運を詠じた詩。
谷干城は安井息軒の三計塾で雲井竜雄とは同門であった。竜雄は慶応二年 (1866) 米沢藩に帰っており、この時、同門の士は別れの詩を賦ている。
竜雄は後、薩長の専制を不満とした不平士族と謀り、明治政府を倒す計画を立てたが、反乱の証拠をつかまれ、明治三年に小塚原の刑場で斬首された。
この悲運に倒れた同学の友を想い、作ったのが、この詩で、詩は悲憤慷慨の気に満ちている。

(鑑 賞)
谷干城は雲井竜雄と、安井息軒の三計塾で共に学んだ仲である。その当時、勉学を共にしながら、興に応じて墨田川の堤や不忍池のほとりに遊び、酒を酌み交わしながら、人生を語り、国の将来を論じていた。だが、今はその友は悲運の死を遂げている。
この詩では、雲井竜雄と共に勉学にいそしんでいた頃を懐想し、(友なきあとの江戸は 花咲く春とはいえ なんとわが心を暗くすることか) とみずからの気持ちを率直に述べ、友の冥福を祈っている。
武人谷干城の知己を思う心の奥をのぞかせた詩である。
(墨田の花) や (蓮湖の月) を鑑賞し、 (連騎豪遊せる) 仲だっただけに、さびしさがよけいにつのるのだろう。