おやゆめ
細井 平州
1728 〜 1801


芳草ほうそう せい せい として あら たなり

ひとうご かして はる えず

きょう かん ここ三千さんぜん

さく 高堂こうどう 老親ろうしんえつ
芳草萋萋日日新

動人歸思不勝春

郷關此去三千里

昨夢高堂謁老親

(通 釈)
芳しい草が勢いよく伸び、その成長ぶりはわずか一日でも目を見張るばかりで、人の心を動かし、家に帰りたい気持ちがしきりに起こって、こののどかな春の日に、居ても立っても居られない。
だが、その故郷はここから遠くはるかに隔たっていて帰ることも出来ない。しかし、昨夜、夢で家に帰り年老いた両親にお目にかかったのである。
夢ではあったが、嬉しいことであった。それとともに悲しい気持ちにもなったのである。

○芳草==におやかな草。多く春の草にいう。
○萋萋==草の茂ったさま。
○日日新==日ごとに新しく成長する。
○帰思==故郷に帰りたいと思う情。
○郷関==ふるさと。故郷に同じ。
○此去== 「去此」 の倒置により 「此」 の意を強めた。
○三千里==実数でなく、ただ遠いことをいった
○高堂==もと立派な家の意であるが、父母の住居を敬っていったもの。


(解 説)
春に当って故郷を思い、夢に両親に会ったことを歌ったもの。
長崎滞在中の、十八歳か二十歳までの間の作と思われる。
(鑑 賞)
平州は恩師中西淡淵の勧めに従い、遠く長崎の地に遊学したが、 「父母在せば遠くは遊ばず」 ( 『論語』 ) の訓えが、いつもその心を悩ましていたのであろう。
もとより父親も十分学問修業に理解があり、その大成を期していた。
それだけに平州としては 「学もし成らずんば」 の意気込みが人一倍強かったのであろう。
ただ両親の年齢を考えると、複雑な気持ちちであったことも事実だろう。
夢に両親に会い嬉しい限りではあったが、一方でさびしく悲しく、じっとしていられない気持ちがよく詠じられている。
この詩は、その孝心の自然の発露で、木村蓬莱の 「至情を吐いてすなわち美言を成す」 の評語がよくその心を知るものといえよう。