○蘇嶽==阿蘇山。
○火海==不知火の海。景行天皇ご西巡の際、海上に点滅する火をご覧になり、供の者に聞かれたが、誰もその火を解明する事が出来なかったことからこの名がある。不知火は旧暦八月一火
(朔) の未明午前一時ごろから出現し、二〜三時間海上に点滅する。この夜、高島公園は数千人の見物人で賑わう。
○白川==源を阿蘇に発し、熊本平野を貫流して有明海にそそぐ。
○潺湲==水のさらさらと流れるさま。
○藤公==加藤清正、幼名虎之助。
尾張国愛知郡中村に生まれ、母の縁籍で秀吉に育てられ、天正十三年 (1585) 七月、秀吉は島津義久を降し、清正に宇土城を守らせた。肥後城主佐々成政が摂津の尼ケ崎で切腹するに及んで、清正熊本城主となる。
知仁勇を兼備し、仏教の信仰厚く、常に漢籍を座右に置く。
頼山陽が 「其の猛夜叉の若く、其の慈菩薩の若し」 といったように、十歳の幼少のとき、鬼面を被って盗人をおどしたり、賤ケ獄の七本槍蔚山
(ウルサン) の籠城など抜群の闘将であった。
また、菊地川、白川、緑川、球磨川流域の堰堤治水工事、海岸の望堤 等、その数三十余、あるいは林木を植え、また、民産を興し、肥後五十万石の実収七十五万石と言われるほどに富ませた。
日本名城の一つといわれる熊本城を慶長八年 (1603) 、徳川家康が征夷大将軍になった年から起工し、四年の歳月をかけて難攻不落の堅城を築いた。
明治十年、西郷隆盛も、ついにこれを屠ることは出来なかった。
○城偕熾==熊本城が永久に素晴らしい姿を示すように、清正の赫々たる武勲、偉大な治水工事、本妙寺、豊国大明神宮の如き厚い信仰心、その偉業はまことに素晴らしいものがある。
○勇魂==たけだけしいつわものの魂。
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