つきたい し て かん
三条 実美
1837 〜 1981

やまちかつきとおつきしょう なるをおぼ

便すなわやま つき よりもだい なりと

ひと まなこだい なることてんごと くなる らば

また やま は小にしてつきさらひろ きを
山近月遠覺月小

便道此山大於月

若人有眼大如天

還見山小月更濶

(通 釈)
山は近く月は遠いので、月のほうがずっと小さく見える。そこで、よく考えもせずに、山は月よりも大きい、などと安易に断言してしまう。
しかし、もし、天のような大きな目 (宇宙的視野) を持つ人がいたとすれば、かえって、山などは小さく、月が大きいことは当然だと思うであろう。

○覚==・・・を知覚すること。  ○便==たやすく。安易に。
○還==却って。
○更==ここでは、いうまでもなく、という意味である。
○濶== 「闊」 の俗字。広いこと。人物の度量の大きいことをいう。


(解 説)
山を小人にたとえ、月を大人物に例えて、一見平凡に見える大人物を知る者は、やはり大人物でなければならぬことを述べ、兼ねて、人物月旦の通俗に流されることを戒めている。
この詩は平仄が規則に合わず、拗体である。
(鑑 賞)
平凡な小人を山に、真に為すところ有る人物をつきに例え、平凡な人には、月よりも山のほうが大きき見えるが、具眼の士の闊達な心眼でもって見れば、当然のことではあるが、月は山と比べ物になぬくらい大きいことがわかる。
「山」 「月」 「大」 「小」 の文字を畳用して、いささか理におちる嫌いはあるが、それが逆に一種のユーモアの要素となっておもしろい詩にしている。
この詩、あるいは、七郷落ちの後の不遇時代の作と見られる。今は不遇であっても、具眼の士には、私の真価がわかる、そんな思いが溢れている。