かん ゆう
大窪 詩仏
1767 〜 1837

淡靄たんあい ふう てん
かん ゆう ときまた 江辺こうへんむこ
らっ われ いてなんけい はく なる
じょ ひと すればもっと放顛ほうてん
ようやへいいた るはたんあい するに
さけ いささりょうげん ずるはとし うるなり
近来きんらい みずかおぼはる あじわ きを
一酔いっすい 昏々こんこん としてただ ねむ らんとほつ
淡靄微風雨後天

閑遊時復向江邊

落花於我何輕薄

飛絮比人尤放顛

詩漸到平因愛淡

酒聊減量是添年

近來自覺春無味

一醉昏昏只欲眠

(通 釈)
うすもやが立ち込め、そよ風が心地よく吹く雨上がりの空、のんびりと散歩を楽しもうと時にまた江辺に足を向けた。
私を待たないで花は散ってしまい、なんと軽薄なことだ。風に舞う柳のわたは風騒の人よりさらに風狂である。
この頃作る詩がようやく平明になったのは、淡白を愛するようになったからだろう。
酒もまた、わずかに量を減じたのは年を加えて老境に到ったからだろう。近頃は、春に味わいを感じなくなってきたので、ひとたび酔うともうろうとなり、眠ろうと思うだけである。

○淡靄==うすもや。軽靄ともいう。
○雨後天==雨上がりの空。
○閑遊==のんびりと遊ぶ。あてもなくふらりふらりと遊歩すること。
○於我==私にとって。閑遊を楽しもうとする作者にとって、待たずに花が散る無風流を嘆いて “於我” と強調した。
○軽薄==考えがあさはかで、誠が無い事。
○飛絮==風に舞う柳のわた。
○比人==人に比べて。人は風流人。風騒の人。
○尤==とりわけ、ほかと違って
○放顛==自由奔放できちがいじみている。風狂なさまをいう。
○漸==だんだんと、少しずつ
○到平==平明なものになる。老境に至るに従い、平明淡白な詩風に移り行くことを言う。
○因愛淡==平明な詩境に至ったのは淡白を愛する事が原因である。
○聊==わずかばかり。前句の漸に対していった。
○添年==年を加える。年を重ねる。
○近来==近頃。この頃。
○自覚==我が身を以って知覚する。身を以って老境を感じ取る。
○春無味==春に興味を感じない。老境に到り淡白を好み、華やかな春に味覚を得られなくなったことをいう。
○一酔==ひとたび酔うと
○昏々==うとうと気分がぼんやりとしたさま。酔って朦朧となったさま。


(解 説)
この詩は作者が晩年に江戸を去り、秋田藩に仕えてから作ったものと考えられる。
暮春の頃、花の散るのを見ては涙し、柳のわたの乱れ舞うのを見ては心動かした多感な昔を思い出し、懐旧の情に駆り立てられたものであろう。
前半は春の華やかなにぎわいを叙述し、風狂の世界にひたっていた若い頃と少しも変わらぬ世界を描き出し、後半は老年に到って、春に賑わいにも超然として淡白な心境になった自分を詠じている。
(鑑 賞)
大窪詩仏がいた江湖社の市河寛斎は、詩仏の詩集 『詩聖堂詩集』 の序に、詩仏のことを、
「北に信越に遊び、西に京攝に渉る。その間の名山景勝、足跡の至る処、題詠はほとんどあまねし。みな奇を捜り、怪をえぐりて、至妙に造詣す」
と、書いている。
江戸の神田お玉が池で詩聖堂を開いていた頃は、この序のとおり、詩仏は目に触れるものほとんどを題材として、多くの詩を作った。当時は、情熱的で、夢を追うような詩を沢山残している。だが、六十歳を数え、秋田藩に仕えてからは枯淡、静寂な詩が目立つ。
この詩も、秋田に移ってからの作品で、若いときの自弁を振り返り、淡々と自らの心情を述べているあたり、枯淡の味を感じさせる。