金色こんじき の ちひさきとり の かたちして  いて ちるなり 夕日のおか
【作 者】  晶子あきこ  
【歌 意】
イチョウの葉は、まるで金色の小さい鳥が舞うように、散っていくことよ、夕日の光に照らされて輝く岡に。
【語 釈】
○銀杏==並木などに植えられている落葉高木で、葉は扇形。普通 「公孫樹」 と書く。「銀杏」 と書くのは、もともとは種を指したのに基づく。
【鑑 賞】
晩秋の黄昏時、イチョウの葉が散っていく光景を、鮮明な色彩と映像間隔でとらえた歌である。
まずこの歌の面白さは、 「金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちる」 という比喩表現にある。
扇形のイチョウの葉が風に吹かれて、あちらこちらへと漂うさまが、まるで金色の小さな鳥が飛び交わっているかのようだという。
晶子の豊かな想像力によって生み出されたこの比喩から、イチョウの葉が枯葉であるにもかかわらず、自ら意志をもって舞っているかのような躍動感が感じられる。
また、黄色に色づいた葉が、夕日に染まった岡を背景に散っていくという情景も鮮やかで、一枚の絵画を見ているような美しさがある。
この歌では、自然を写生しようとしたわけではないが、対象を耽美的な精神でとらえることで、より自然の実相に迫るものとなっている。
さらに、上の句に 「金」 下の句に 「銀」 という語を配し、文字上でも華やかな印象を与えるものとなっている。
鳥に見立てられたイチョウの葉と 「夕日の岡」 という雄大な光景を対比的に用いることで、葉の小ささを印象づけ、それが散ってゆく姿に対する、はかなさを際立たせている点も見過ごせない。
【補 説】

この歌は、明治三十八年 (1805) の 「明星」 一月号の 「春の夢」 に発表され、同年敢行の第四歌集 『恋衣』 (山川登美子、茅野雅子との合同歌集) に収められた
同年二月号の 「明星」 の中で、星下郊人 (生田長江) は、この歌を評して 「女史が奔放限りなきファンタジアの力に驚嘆するばかりでなく、亦何となく女王の御前に導かれて行きでもするかのような、一種おごそかな感じが起こる」 と述べている。
後年、晶子はこの歌の五句目 「夕日の岡に」 を 「岡の夕日に」 と改めている。

【作者略歴】

明治十一年 (1878) 大阪府生まれ、昭和十七年 (1942) 没、享年六十四歳。
明治三十三年 (1900) 「明星」 に歌を発表し始め、翌年、歌集 『乱れ髪』 を出版し、与謝野鉄幹と結婚する。
歌集 『乱れ髪』 は、青春の情熱を歌い上げ、浪漫主義運動の中心となる。
歌集には 『恋衣』、『白桜集』 (昭和十七年) など多数ある外、『源氏物語』 をはじめとする古典の現代語訳や評論などもある。

(日本女子大学付属中学校非常勤講師 壬生 里巳)