【作 者】佐
々
木
信綱
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【歌 意】 |
白い雲は、無心に空に浮んでいる。この谷川をなす多くの石
── その石が、個々にみな、おの おのの個性を表現してころがっていることだ。 |
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【語 釈】 |
○谷川==三重県三重郡の名勝湯の山の谷川。
○石みな石==そこにある石という石の全て、あるだけの石全部、の意。
○おのづからなる==各自が各自の個性を保っていることよ、の意。この場合は、単に自然のま ま下ある、の意ではない。
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【鑑 賞】 |
雲も無心、石もまた無心 ── しかし、静に澄んだ歌人の心眼には、雲には雲の心が映り、碌々 たる石も石おのおのの思いが見えるのである。
雲も雲自身のものに安じ、石ころも石ころ各自の境涯を楽しむかに見える。 自然はかくも静に、かくも満ち足りた平安の内に自己を生かしているのに、人間のみ、なぜ齷齪
と右顧左眄するのだろうか。
そうした批評精神を内に蔵しつつ、おおらかに堂々と歌い収めたところは、この作者の長者の風 ある人柄を表現している。
ある人柄を表現している。 「静かに見れば、ものみな自得す」 と教えてのは芭蕉であるが、詩人のみが、生命なき物の内に
秘められた真実の姓名を直感し得るのであろう。
作者はこの時、六十歳。この歌を収める歌集 『鶯』 には、そういう至り得た人の、時代を、自然を 、人間を、明るく素直に肯定した精神が多く盛られている。
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【補 説】 |
明治十五年、十一歳にして父博綱 (ヒロツナ)
に従い上京してから、長く東京生活を続けて来た 作者は、常に故郷伊勢の風物を懐かしみ、郷里のために尽くし、郷党から敬愛された。
作者はその随筆の中で、しばしば、 「最も美しい日本語はふるさとということばだ」 と語っている。
湯の山の景観に対する親しみも、作者の三重県に対する愛情の上に根差していると言えよう。
この歌の鑑賞に、それは直接必要な事ではない。しかし、この歌を貫くしっとりと自得した静けさ は、単なる行きずりの旅人の感懐ではなく、もっと深みをたたえ落ち着いた心境から生まれたも
のであることは知っておくべきだろう。
この歌は、現在、湯の山温泉の谷川の大自然石にほりつけられている。 |
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【作者略歴】 |
明治五年 (1872) 、三重県鈴鹿郡石薬師村に伊勢国学の正統を伝える歌人佐々木弘綱の長男
として生まれ、幼少にして本格的な古典学と作歌とを授けられた。
東京大学を卒業後、父の志を継いで歌道の弘布 (グフ) と歌学の研究とに生涯を捧げた。
直文・子規と並んで和歌改革運動を興し、 「心の花」 を主宰した。
その一方古典研究においても万葉集研究を中心とする不朽の業績を残した。
文学博士、学士院・芸術院両会員とを兼ね、 『評釈万葉集』 全七巻等、多くの研究書、処女歌 集 『思草 (オモヒグサ)
』 から 『山と水』 まで多くの歌集がある。
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(近代文学研究者 波瀬
蘭) |