さむ いね」 と はな しかければ 「さむ いね」 と  こた えるひと の いるあたたかさ
【作 者】たわら
【歌 意】
体も心も冷え切ってしまうようなとき、 「寒いね」 と話しかければ 「寒いね」 とそのまま答えを返してくれる人が身近にいることは、それだけで温かくなるものであることよ。
【語 釈】

○ 「寒いね」 と答える人==恋人、と理解するのが一般的だろうが、 「恋人同士でも友人でも親子でもいい。心を許せる誰か」 (粟木 京子) と解して何ら問題はないだろう。

【鑑 賞】

昭和六十一 (1986) 年、角川短歌賞を受賞した 「八月の朝」 の中の一首であり、 『サラダ日記』 の中の代表歌でもある。
「  」 つきで短歌の中に台詞を取り込むことは明治の次代から行われていて決して俵万智の専売特許ではないのだが、 「この味がいいね」 と君に言われた表題作を典型として、口語を自在に定型の中にはめ込む彼女の歌の大きな特徴の一つにもなっている。
本作は一首の中に 「  」 が二つも含まれるという意味では極めつきだとも言えるが、 一首の中で、対話が行われるという、まさしく相聞を内蔵するという面白さを持っている。そしてその対話、相聞という、言葉の力こそがテーマであることは、例えば < 「寒いね」 と話しかければ黙然と抱き寄せる人のいるあたたかさ > とかいう形で歌われてもいいような、体内の温かさを直接求めたのでは決してないということにも明らかなはずである。

【補 説】

ところで、その言葉の力とは、 「サラダ記念日」 の歌の場合には、 「美味しいね」 、 「そう、本当に美味しいね」 と二人が確認し合うことで、その日が 「記念日」 になるほど、美味しさが言挙げされるのに対して、本作ででは 「寒いね」 「寒いね」 と確認されて、だから今日は本当に寒い一日であるのだ、と歌われるのでは決してなく、そのことで寒さが否定されて結局は 「あたたかさ」 が立ちのぼるという仕組みになっている。
粟木京子は 「身体的な寒さが心のあたたかさへと変る課程が、のびやかな言葉の流れに沿って描かれている」 ( 『現代秀歌百人一首』 実業之日本社) と評しているが、むしろそうした捻じれの面白さをこそ本作の命としたい。そしてその変化を <寒い> <あたたかさ> という具合に漢字とひらがなとで書き分ける表記法も見事である。

【作者略歴】

昭和三十七年、大阪府に生まれる。六十一年、 「八月の朝」 で角川短歌賞受賞。
六十二年第一歌集 『サラダ記念日』 (第三十二回歌人協会賞受賞) が刊行され、260万部以上の売れ行きとなり、歌壇を越えて注目を集める。
国語審議会の委員を務めるなど、歌壇以外でも幅広く活躍している。
歌集に 『かぜのてのひら』 『チョコレート革命』 がある他、随筆集や古典の現代語訳等の多くの著書を持っている。

(近代文学研究者 原 善)