ひゃく にん
中江 藤樹
1608 〜 1648

ひと たびしの べばしち じょう みな ちゅう

ふたしの べば ふく みな ならいた

しの んでひゃく にんいた ればまん こうはる

たる ちゅう すべしん きょう
一任七情皆中和

再忍五jF竝臻

任到百忍滿腔春

熙熙宇宙總眞境

(通 釈)
人間の感情は七種からなっており、この感情が直接表に現れると、思わぬことが起こるものである。
まず、一度これを忍べばそれらの感情は一つに偏らず、穏やかに和らぐものである。
さらに修業を積み、再び忍びことが出来るようになると、人生の五つの幸福がすべて自分自身の周囲に集まるようになる。
このような修業を積み重ね、百度も忍ぶことが出来るようになると、心の中はいつも春の暖かさに包まれ、広々とした宇宙で起こる総ての現象を楽しく受け入れることが出来るものだ。これがまことの境地というものなのだ

○七情==七種の感情。広く心情の動きの総称。
○中和==かたよらないで穏やかなこと。
○五福==人生の五つの幸福。
つまり、寿命の長いこと、財力の豊かなこと、無病なこと、徳を好むこと、天命をもって終ること。
○満腔==いっぱいに満ちていること。
○熙熙==広々としていること。
○真境==まことの境地。


(解 説)
藤樹自身の、陽明学に基づく人生観を述べたもの。
藤樹は学者であるとともに道の実践者である。この詩に表れた 「百忍」 こそ藤樹学の真髄である。
題を 「忍の字に題す」 とするのもある。これは、もともと箴言として作ったもの。詩として作ったものではない
(鑑 賞)
「忍」の字を四度使用したり、平仄が合わないなど作詩上難のあるところであるが、 「忍」 の字に藤樹の処世訓が素直に吐露されていると積極的に解すべきであろう。
吟詠家に、よく素材として選ばれるのは、人生の真理を述べた詩として訴えるところがきわめて大きいからだと思われる。よく吟じられるところから詩碑のも刻まれている。
藤樹は二十七歳で故郷近江の母の許に帰ってから、門人を教え、その徳化は四隣にまで及んだ。
その学は、知と行とを一つにし、決して学問と道徳とを二つに分割することはなかった。
藤樹の良知説にしろ、明徳説にしろ、孝の説にしろ、真に道徳の本質を体得させるものであり、信を宇宙の神霊に通ずるものとし、敬虔至誠心術の純真であることを旨としたので、藤樹の人格は聖域まで進んだ。 「近江聖人」 と称される所以である。この詩はその境地の発露である。