せき しゅん
小野 湖山
1814 〜 1910

ほう 茫々ぼうぼう たれ にか わんとほつ
青天せいてん 碧海へきかい げてあい おも
しょう 一陣いちじん 遊仙ゆうせんゆめ
杯酒はいしゅ 三春さんしゅん 送別そうべつうた
しん はなかも してはな すで
生成せいせい あめあめ まさ るべし
年来ねんらい みずかおぼえい
けみ して今朝こんちょういた ってまた かえ ってかな しむ
芳事茫茫欲問誰

青天碧海枉相思

笙歌一陣遊仙夢

杯酒三春送別詩

辛苦醸花花已老

生成在雨雨應知

年來自覺栄枯理

閲到今朝又却悲

(通 釈)
唐の詩人は三春の行楽と詠じているが、この季節は一生のうちでも最も温暖で、遊びにも情緒深いものがある。。
その麗らかな春もいつしか過ぎ去ろうとしている。いったいあの楽しさは何処に消えたものか、跡方もなく、その行方を誰に問うたらよいものか、知るすべもない。
空は限りなく青く、海は碧く広がり、幾たびか人を恋うた思い出は、今、甘酸っぱく、空しくたちかえる。
笛よ、歌よと妓楼で戯れたのも夢の彼方、春の別れの杯に詩を贈ったのも青春の思い出だ。
雨がしとしとと大地を潤し、手塩にかける如く辛苦して育てた花も色あせ、時の移り変わりの空しさ悲しさを最も痛切に感ずるのは、あるいは、この無情なる雨であるやも知れない。
この私とて、これまでの体験から、春は来てまた去り、人生の栄枯、盛衰の理も十分承知している筈であるのに、いよいよ春逝くとなると哀愁に堪えないものがある。

○芳事==花の盛んな時節の行楽。春の遊興。
○茫茫=果てしないさま、明らかでないさま。
○青天碧海==紺碧の空とその下に輝く碧い海。この句によって比と知らぬ恋、というなまめいや雰囲気がかもし出される。
○枉==むだに。しなくてよいものを、やたらにした、の意。
○相思==思慕する。恋慕する。相互に思い合う。
○笙歌==笙の笛と歌。笙に合わせて歌う。
○遊仙==仙界に遊ぶ。妓楼で遊んだ事を暗にいう。
○杯酒==杯の酒。酒の入った盃。
○三春==盃春・仲春・李春の三ヶ月。九十の春光。
○送別==行く人を見送る。他所に行く人を送る。女性との別れを暗に言う。
○辛苦==辛く苦しい事。また辛く苦しいめにあおうこと。
○醸花==かもす、きりまぜるまどの意があるが、ここではつくる。
○生成==育つ、生ずる。
○栄枯==栄落、盛衰、隆替。草木の茂ることと枯れることから転じて栄えることと衰えることを表す。
○閲==あらためる、しらべる。


(解 説)
逝く春を惜しみながら、人の世のことわりと人生の感慨を述べたもの。
栄枯盛衰、会者定離などの道理は十分承知しているはずなのに、春の逝く頃になると、なにかと往事が追想されてならないことを述べている。
(鑑 賞)
老いて、青春をなつかしんだ詩である。
「青天碧海」 「遊仙」 「三春送別」 と、若い頃の恋愛、女との別れを暗示する語を多用して、甘い青春の感傷を誘い出す。 (辛苦して花を醸して花已に老い) とは粋人のため息であろう。
唐詩の、 「黄金用い尽くして歌舞を教え、他人に留与して少年を楽しましむ。」 (司空曙 「病中妓を遣る」) というのに通うものがある。
杜牧が老いたら、かくもあるかという趣の詩である。それにしても、最後の二句は悲しい。九十七翁の真率の情を見る思いである。